私の生まれた街 大垣市には何がある?
今日は私の出生地・大垣市の紹介です。
大垣市は人口16万人の岐阜県第2の都市です。
私はこの後、高山市へ転居したため
訪れる機会も少なかったのですが、
最近は仕事での縁があり、月に1回は訪れています。
私は歴史ある景観を生かした街並みが
気に入っています。
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大垣といえば
大垣といえば何を思い起こすでしょう。
揖斐川の畔の「水の都」という印象もあるでしょうか?
奥の細道の終点、
関ヶ原の戦いでの西軍拠点。
明智光秀の出生地。
東京発の夜行快速・ムーンライトながらの終点駅。
水まんじゅう
などなど
西日本と東日本の境が関ヶ原ですが、
大垣は東日本西端の市。
風習や味覚も伊吹超えをするのとしないのでは
大きく違います。
一番有名な話では、日清のどん兵衛のダシの味。
ここを境に関西風と関東風に変わるのは知られた話。
歴史の舞台 大垣城
見所も多い大垣ですが、
中でも大垣城は
結構お気に入りです。
関ヶ原の合戦では、西軍の拠点になったことは有名ですが、
結局、徳川家康が大垣城を攻めず関ヶ原へ進行した結果
そのおかげで落城の負い目を見ず
昭和初期まで現存したんですね
(戦時中に焼失しましたが)
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大垣市内図
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地図を見ると分かりますが、
大垣城の周りには内堀・外堀(杭瀬川・東中の江川)
が存在し、今でも市内各所には水が流れていて
水の都らしい街です。
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大垣は鉄道の要所
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ムーンライトながら(夜行快速)
大垣は東京発のムーンライトながらの終着駅。
2020年まで臨時列車として存命してました。
停車駅
東京駅 – 品川駅 – 横浜駅 – (小田原駅) – 沼津駅 – 静岡駅 – 浜松駅 – 〔豊橋駅〕
東京を23時台に発車し大垣に朝5時台に到着します。
米原行き始発列車へ乗り換えのための「大垣ダッシュ」は
有名でした。
ただ、いまでも青春18きっぷシーズンには大変混み合う駅です。
豊橋発米原行き新快速や特別快速は平日の本数が少なく
ここ大垣で乗り換えが多いです。
京都大阪神戸への直通列車
また、2016年までは1日3往復
関西方面への直通列車がありました。
大垣〜姫路・網干間という
岐阜・滋賀・京都・大阪・兵庫を跨ぎ
運行された日本でも有数の
長距離普通列車でした。
今は敦賀駅 – 播州赤穂駅(275.5km)の
福井県〜兵庫県の新快速が最長です。
現在駅舎は綺麗にリニューアルされましたが、
駅前の商業施設ヤナゲンが無くなったり、
列車が無くなったりと元気が無さげ。
松尾芭蕉の着いの地・大垣の紹介でした。
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