大曽根再開発に学ぶ、失敗からの教訓
はじめに
大曽根は愛知県名古屋市東区にある地域の名称。
名古屋からの交通ルートとしては
・JR中央線、
・地下鉄は名古屋~久屋大通~大曽根(桜通線~名城線)、名古屋~栄~大曽根(東山線~名城線)、
・名鉄瀬戸線(名古屋~地下鉄~栄~乗換~栄町~名鉄瀬戸線~大曽根)
・市営バス
幹名駅1・名駅14:名古屋駅~大曽根 、名駅15:名古屋~茶屋ヶ坂
大曽根の現状
名古屋市の大曽根地区を取り巻く再開発の取り組みは地域の活性化を目指したものでしたが、
結果として失敗と言われる状態となってます。
昨今は駅高架下のスペースは
JR系のASTY大曽根と
名鉄系のμPLAT大曽根(ミュープラット大曽根)がオープン。
日用品から食料品、本、医薬品、飲食店が並び駅中で完結できるショッピングゾーンが
出来上がっている。
また、メッツ大曽根・イオンモールナゴヤドーム前(無料バスあり)などもある。
個々の商業施設は好調だが、これらの施設は人の流れを作ることによって成功していて
アクセスの重要性を再確認する事ができる。
大曽根は根本的に街づくりは失敗したといえ
その過程で起きた失敗から多くの教訓を得ることができます。
大曽根地区の再開発計画の歴史
大曽根地区の再開発計画は、1989年(平成元年)9月:OZモールオープンから本格化します。
都心からのアクセスの良さや周辺の商業施設の盛況さなど、
魅力的な条件が揃っていたこの地区は、さまざまな開発プロジェクトの対象とされました。
しかし、計画が進むにつれて、さまざまな問題が浮き彫りになりました。
失敗要因の分析:駅前整備、鉄道・道路計画の課題
大曽根地区の再開発計画が失敗した要因を分析してみると、
駅前の整備不足や鉄道・道路計画の課題が浮かび上がります。
駅周辺のインフラ整備やアクセスの便利さは、再開発の成否に大きく関わる要素です。
しかし、大曽根地区の再開発計画では、これらの要素が見落とされてしまったようです。
駅前の整備不足により、利便性が低下し、商業施設の集客力も低下してしまいました。
また、鉄道や道路の計画も不完全だったため、地域全体の交通の流れがスムーズにならず、
交通渋滞の問題が深刻化しました。
乗り継ぎの不便さと無駄なスペース
駅ビル計画も賛否両派に分かれて一体的なビル建設などが頓挫したため非常に不便な場所となった。
また、地下駐車場(OZパーキング)を利用せず、駅前ロータリーに路駐するなどモラルの低下も激しく、
地下駐車場は思ったほどの利用率ではない。
建設費が高く、利用が低迷していることから、「ガラガラ 建設に巨費 遠い採算」で批判されたものの一つである。
- 建設費:約68億円
- 駐車台数:196台
失敗の要因まとめ
計画の提案時、周辺住民は期待と不安を抱えていました。
彼らは商店街の雰囲気や個性を大切にしており、再開発計画の内容がそれにどのように寄与するのか疑問視していました。
住民との十分なコミュニケーションがなかったため、反発が起きることとなりました。
失敗の原因として考えられる要素はいくつかあります。
まず、開発者側のコミュニケーション不足。住民の声に耳を傾けず、一方的な計画の推進に走ったことが問題の一つです。
また、商店街自体に魅力的な特徴が不足していたことも挙げられます。
他の地域で成功している再開発事例を見ても、地域の特徴と個性を活かすことが重要であることがわかります。
他の地域で成功した再開発事例との比較をすると、大曽根商店街の再開発計画の不備が浮き彫りになります。
成功例では住民参加型のプロセスが行われ、地域の特性を重視した計画が進められています。
他自治体への示唆:再開発プロジェクトの成功のために
大曽根地区の再開発失敗から得られる教訓は、他の自治体にも示唆に富んでいます。
まず、駅前の整備に力を入れることが重要です。
利便性や快適性を追求することで、魅力的な地域空間を作り出すことが可能になります。
大曽根の再開発事業は、失敗と言わざるを得ない要素が多く見受けられます。
地域の特性を生かし、市民の声に耳を傾けることが成功の鍵と言えるでしょう。
失敗の教訓を生かしながら、今後の再開発事業にはもっと大切な要素を取り入れてほしいと願います。
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