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なぜ芸能人は極左化するのか? 一般国民との思考の違いと「平和教育」

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はじめに

自分が子供の頃、情報といえば「テレビ」と「新聞」だけでした。それと日教組の教師による「講釈」のみ。そんな環境で育った私はリベラル志向の強い少年でした。これは経験する人も多いのかもしれません。

大人になっていくにつれ「現実志向」に置き換わって行くのですが、このように変る「構造」と、「左傾化」「思考停止」していく人の違いについて考えてみます。

1・「正義」の対象が抽象から具体へ変わる

子供の頃のリベラル支持と大人になってからの現実思考 

「20代でリベラルでないなら情熱が足りない。40代で保守でないなら知能が足りない」という有名な格言(チャーチルやクレマンソーのものとされることが多いですが)があるように、成長に伴う思想の変化は古今東西を問わず見られる普遍的な現象です。

子供や若者のころの「リベラルな理想」が、大人になるにつれて「現実的な思考」へとシフトしていく背景には、単なる「妥協」ではないいくつかの構造的な理由があります。

理想思考と現実志向

若年期は守るべき対象が

「世界」「人類」「地球環境」

といった抽象的で大きな概念になりがちです。自分自身に守るべき生活基盤がまだないため、全方位的な正義を振りかざすことにコストがかかりません。

しかし、 結婚し、家族を持ち、仕事で責任ある立場(例えば現場の管理や後進の育成など)人生経験を積み重ねていくと、守るべき対象が「目の前の家族」「自社の従業員」「地域社会」といった具体的で限定的なものに変わります。限られた資源(時間・金)をどこに投下すべきかという「優先順位」の問題に直面し、理想論よりも実利を重視せざるを得なくなります。

社会の「多層性」と「コスト」への理解

若いが故の考えの浅さ

若い頃は「Aという問題があるなら、Bというルールを作れば解決する」と単純に考えがちです。しかし、社会経験を積むと、一つの規制が別の場所で失業を生んだり、インフラの維持には莫大なコストと緻密な調整が必要であることを理解します。

負担の当事者意識

例えば「福祉の充実」という理想に対し、若い頃は受給者側の視点に立ちやすいですが、納税者として社会を支える側になると、「その財源は誰が、どうやって稼ぎ出すのか?」というコストの視点が思考の前提になります。

心理的な変化

脳の発達

感情や共感を司る部位に対し、長期的なリスク評価や論理的判断を司る「前頭前野」は20代半ばまで成熟し続けると言われています。大人になるほど「一時的な感情の昂り」よりも「長期的な安定」を求めるのは、生物学的なプログラムでもあります。

変化へのコスト

若者は失うものが少なく、変化(革命や大改革)はチャンスに見えます。一方、積み上げてきたキャリアや生活基盤がある大人にとって、過激な変化は「リスク」そのものです。現状を維持しながら漸進的に改善していく「保守的・現実的」なアプローチが、生存戦略として合理的になります。

理想と現実の思考プロセスの違い

項目子供・若者のリベラル思考大人の現実思考
焦点「どうあるべきか(理想)」「どう動かすか(実行可能性)」
社会観善悪二元論、抑圧からの解放複雑な利害関係の調整、バランス
責任の所在社会や体制が責任を持つべき自己責任と身内への責任が優先
時間軸「今すぐ」変えたい(短期的)「持続可能か」を問う(長期的)

2・なぜ芸能人は極端な左傾化するのか

芸能人が「極左化(あるいは非常にリベラルな発言)」していると見える現象や、一般国民との感覚の乖離、そして「信じやすい」とされる背景には、心理学、社会学、および芸能界特有の環境要因が複雑に絡み合っています。

職業的要因

「共感力」の代償

俳優や表現者は、役作りのために他人の感情や境遇に深く没入する訓練を積んでいます。この高い共感力が、マイノリティや弱者の権利といったテーマに対して、情緒的・直感的に強く同調させる要因となります。

反権力(アウトサイダー)の伝統

芸術や芸能の世界には、古くから「体制に対する反抗」を良しとする文化があります。クリエイティブな表現は既存の枠組みを壊すことで生まれる面があるため、保守的な現状維持よりも、変革や理想論を掲げる思想に惹かれやすい傾向があります。

発信力が強い

知名度のある芸能人は「発信力」があります。若いタレントは「イメージの悪化」を嫌いますが、中高年以降になると「歯止め」が効かず、自分の個人的思考を思慮が足らず発信してしまう傾向があります。また、「それが責務」のような思い込みと、「多様化」を認めない「思考停止」した人間になりがちです。その方がマスコミとの親和性も良い事も一因です。

環境・社会的な要因(エコーチェンバー)

業界内の同調圧力

芸能界やクリエイティブ業界は、リベラルな価値観が「知的で進歩的」とされる風潮があります。特定の意見を表明することで仲間内で認められ、逆に異論を唱えると「時代遅れ」や「不謹慎」の烙印を押されるリスクがあるため、特定の思想が加速しやすい(極端化しやすい)土壌があります。特に昨今のマスメディアはこの傾向が顕著です。

都市生活と経済的断絶

多くの著名人は都市部の高所得層コミュニティで生活しています。地方の切実なインフラ問題や、泥臭い労働現場のリアリティから乖離しやすいため、一般国民が重視する「生活の安定」よりも、「人権」や「環境」といった抽象的で理想主義的なテーマを優先する傾向が強まります。

なぜ「信じやすい」と言われるのか

芸能人は論理的な政策論争よりも、感情に訴えかける「物語」を扱うプロです。そのため、複雑な社会問題を「善と悪」「強者と弱者」といった単純な図式に落とし込むイデオロギー(プロパガンダ)に接触した際、その物語性に強く惹かれ、深く信じ込んでしまう側面があります。

アドバイザーや活動家の存在

影響力のある芸能人には、特定の政治的意図を持つ活動家やインフルエンサーが接近しやすい状況にあります。「あなたの声で世界を救える」といった賞賛とともに情報を吹き込まれることで、十分な検証なしに特定の思想の広告塔になってしまうケースも見受けられます。

結論

芸能人の政治的発言が「極端」に見えるのは、彼らが「感情の経済」の中に生きているからです。一方で一般国民は「実生活の経済」の中に生きています。この立脚点の違いが、情報の受け取り方や信じ方の差となって現れていると考えられます。

芸能界という特殊な環境は、純粋な正義感を増幅させる一方で、社会の多面的なリアリティを見えにくくする「透明な壁」として機能している側面があると言えるでしょう。

「信じやすさ」からの脱却

幸いな事に現代では「情報源」は多岐に渡り、比較し選択することが可能です。それによって、発信者側にも「思惑」や「利権」が有る事に気付くのも当然の流れなのです。

大人が「現実思考」になるプロセスは、ある種の「情報の解像度が上がること」とも言えます。

メディアが報じる「綺麗な物語」の裏側に、どのような政治的意図や利害関係、あるいは現場の苦労があるかを想像できるようになると、単純なスローガンを鵜呑みにしなくなります。

特に、103万円の壁のような税制の問題や、エネルギーの安定供給、インフラ老朽化といった「手触りのある社会課題」に直面する経験は、人を理想主義から「地に足のついた現実主義」へと変えさせる強力な装置となります。

結局のところ、大人の現実思考とは、世界を諦めた結果ではなく、「世界を維持することの難しさ」を知ったがゆえの誠実さの表れなのかもしれません。

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