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左翼・共産党が関わった凶悪事件とテロ事件 

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日本の「左翼」や「共産主義者」に関連する凶悪事件・テロ事件は、大きく分けて1950年代の日本共産党による武装闘争と、1960年代後半以降の新左翼(過激派)による活動の2つの文脈があります。

現在、日本共産党と「過激派(新左翼)」は互いに激しく対立しており、別個の組織ですが、歴史的なつながりや対立構造を含めて整理します。

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日本共産党による武装闘争(1950年代)

1950年代初頭、日本共産党は「51年綱領」に基づき、暴力革命を肯定する武装闘争路線を採っていました。

  • 山村工作隊・中核自衛隊: 農村や工場に拠点を置き、火炎瓶などを用いたゲリラ活動を展開しました。
  • 白鳥事件(1952年): 札幌市警の白鳥一雄警部が射殺された事件。共産党員が関与したとされ、最高裁で有罪が確定しています(党側は現在も冤罪を主張)。
  • 大河内ダム破壊工作: 東京都の貴重な水源であるダムの建設阻止を狙ったテロ計画。
  • 火炎瓶闘争: 吹田事件、大須騒擾事件など、デモ隊が警察官や公共施設を襲撃する事件が多発しました。

注記: 日本共産党は1955年の「第6回全国協議会(六全協)」でこの武装路線を「誤り」として放棄し、現在は平和的な議会民主主義を掲げています。

新左翼(過激派)によるテロ・凶悪事件

1960年代以降、共産党の議会路線を「日和見主義」と批判して離脱した学生らが「新左翼」を結成し、より過激なテロ活動に走りました。

日本赤軍・連合赤軍(国際テロ・凄惨なリンチ)

  • よど号ハイジャック事件(1970年): 日本初のハイジャック。北朝鮮へ亡命。
  • あさま山荘事件(1972年): 連合赤軍が人質を取って立てこもり。警察官や民間人が犠牲に。
  • 山岳ベース事件(1971-72年): 連合赤軍内部で「総括」と称し、12名の同志をリンチ殺害。
  • テルアビブ空港乱射事件(1972年): 日本赤軍がイスラエルの空港で無差別乱射。26名が死亡。

東アジア反日武装戦線(連続企業爆破)

  • 三菱重工ビル爆破事件(1974年): 爆弾テロにより死者8名、負傷者376名を出す凄惨な事件となりました。

中核派・革マル派(内ゲバとゲリラ)

  • 内ゲバ(内部ゲバルト): 組織同士の主導権争いにより、これまでに100名以上が殺害されています。
  • 迎賓館・対馬山荘爆破事件(1986年): 迫撃弾や時限爆弾を用いたテロ。
  • 成田空港予定地内での暴力: 成田闘争において警察官3名が殉職した「東峰十字路事件」など。

五味記者の爆破事件

2003年にヨルダンのアマンで発生した「毎日新聞記者による爆発事件」は、テロ事件ではなく、戦地取材を行っていた記者の重大な不注意と過失によって引き起こされた悲劇的な事故です。

当時、毎日新聞の記者であった五味宏基(ごみ ひろき)氏が、取材先のイラクから持ち出した「戦利品(お土産)」が空港で爆発した事件です。

事件の概要(2003年5月1日)

イラク戦争の取材を終えた五味記者は、帰国の途につくためヨルダンのクイーンアリア国際空港に到着しました。

空港の検問所で手荷物検査を受けていた際、五味記者のバッグの中にあった「金属製の物体」が突然爆発しました。

この爆破により、検査を担当していたヨルダン人の警備員1名が死亡し、五味記者本人を含む周囲の数名が重軽傷を負いました。

爆発したのは、イラクの戦場で拾ったクラスター爆弾の子弾(未不発弾)でした。

五味記者は、この物体を「爆発済みの空の薬莢(やっきょう)のようなもの」だと思い込み、記念品として持ち出そうとしていました。

実際には、クラスター爆弾の子弾は触れただけで爆発する可能性が高い極めて危険なものです。戦場を取材するプロの記者として、その危険性を認識していなかったことが最大の過失とされました。

事件後の経過と法的処分

この事件は、単なる過失を超えた「公務員致死罪」などの容疑で、ヨルダン当局によって厳しく裁かれました。

五味記者は逮捕・起訴され、軍事裁判所から禁錮1年6ヶ月の判決を受けました。その後、当時のヨルダン国王アブドゥッラー2世による「特赦」を受け、刑期途中で釈放・帰国となりました。毎日新聞社は、五味記者を懲戒解雇処分とし、社長が辞任する事態となりました。

報道倫理とメディアの責任

この事件は、日本の報道界に極めて大きな衝撃を与え、現在も「報道倫理」や「ジャーナリストの資質」を問う例として語り継がれています。

「戦場のお土産」という非常識な感覚

命の尊厳を伝えるべき立場の記者が、凶器である爆弾を収集し、結果的に他者の命を奪ったことへの強い批判。

報道機関の教育不足

危険地帯に記者を送り出す際の安全管理や、武器・爆発物に関する基礎知識の教育が欠如していた点。

外交問題への発展

日本とヨルダンの友好関係に泥を塗る形となり、現地では激しい対日感情の悪化を招きました。

    この事件は、前の質問にあった「左翼テロ」のような政治的意図はありませんでしたが、「メディアによる無自覚な加害」として、日本のニュース報道の歴史における重大な汚点の一つとされています。

    冤罪(えんざい)のヒーロー「小野悦男」

    小野悦男(おの えつお)は、日本の犯罪史上、「冤罪(えんざい)のヒーロー」から一転して「凄惨な再犯者」となった極めて異例かつ衝撃的な人物です。

    この事件は、刑事司法における「疑わしきは罰せず」の原則と、社会防衛(再犯防止)の難しさを象徴するケースとして今も語り継がれています。

    首都圏女性連続殺人事件(1968年〜1974年)

    小野は1974年、松戸市で起きた女子中学生殺害事件の容疑者として逮捕されました。

    無罪確定(1991年): 控訴審で自白の任意性が否定され、証拠不十分として逆転無罪を勝ち取りました。小野は「国家権力と戦い抜いた男」として、支援者たちから熱狂的に迎えられました。

    強引な取り調べ: 警察による過酷な取り調べの末、自白。別件の殺人についても関与を認めました。

    一審での死刑判決: 千葉地裁は小野に死刑を言い渡しました。

    冤罪支援の輪: 小野が「自白は強要されたものだ」と主張し始めると、人権団体や日本共産党系の弁護士、メディアなどが「冤罪の被害者」として大規模な支援活動を展開しました。

    中心となった主要な支援団体

    小野を支持した団体や組織

    小野悦男の逆転無罪を勝ち取るための支援活動は、当時の新左翼運動や人権運動、市民運動のネットワークが強固に結びついた、非常に大規模なものでした。

    小野を支持・支援した主な団体や組織、およびその背景は以下の通りです。

    小野の支援活動は、単なる個人の弁護にとどまらず、国家権力による「冤罪」を追及する政治的・社会的な運動として展開されました。

    小野悦男さんを救う会(松戸事件対策委員会)

    地元の活動家や市民が中心となって結成された直接の支援団体です。ビラ配りや署名活動、裁判の傍聴組織、資金集めなどを全面的に担いました。

    救援連絡センター(RCC)

    1970年に結成された、新左翼系の活動家などを公私にわたり支援する治安立法・弾圧対抗の過激派系共同組織です。小野の事件を「国家権力による労働者・弱者への弾圧」と位置づけ、公判闘争や物資の差し入れなどを組織的にサポートしました。

    弁護団と法曹界のバックアップ

    弁護団には、当時の「人権派」と呼ばれる左派系の著名な弁護士たちが多数名を連ねました。

    日本弁護士連合会(日弁連)の「人権擁護委員会」

    日弁連は小野の事件を「冤罪の疑いが極めて濃厚な事件」として公式に認定し、委員会を通じて調査や財政的・法的な支援を行いました。

    左派・共産主義系の弁護士グループ

    自白の強要や警察の違法捜査を追及するため、思想的に反権力を掲げる弁護士たちが結集し、最高裁まで戦う強固な弁護団が結成されました。

    支持・連帯した政治勢力や市民組織

    新左翼諸セクト(過激派)や派生団体

    警察・検察・裁判所という「国家装置」の打倒や批判を掲げる新左翼系のセクト(中核派や解放派、あるいはそれらの周辺組織)が、反権力闘争の一環として小野の無罪運動を支持しました。

    共産党系・社会党(当時)系の労働組合や市民団体

    直接のセクトだけでなく、いわゆる革新系の知識人、ジャーナリスト、地域の市民運動家たちが「人権擁護」「えん罪根絶」の旗印のもとに連帯しました。

    釈放後の「神格化」と、その後の崩壊

    これらの団体・組織は、1991年に最高裁で無罪が確定した際、小野を「国家の不当な弾圧に打ち勝った不屈のヒーロー」として大々的に称えました。釈放された小野は、各地の反権力集会や冤罪反対のシンポジウムに招かれ、演者として壇上に立ちました。

    しかし、1996年に足立区の事件で小野が「真犯人」として再逮捕されると、状況は一変します。

    組織の沈黙と自己批判

    あれほど熱狂的に小野を支え、「無実」を信じていた支援団体や人権派弁護士たちは、猛烈な社会的批判にさらされました。多くの団体が活動の総括を迫られ、運動そのものが大打撃を受ける結果となりました。

    「被害者への加害」という倫理的破綻

    結果として、組織的に凶悪な殺人鬼を野に放ち、次の凄惨な犠牲者を生み出す手助けをしてしまったという事実は、日本の左派市民運動史における「最大の汚点・痛恨の極み」として記録されています。

    足立区女性殺害事件(1996年)

    無罪確定からわずか5年後、事態は最悪の形で暗転します。

    東京都足立区で女性の首なし死体が発見されました。捜査線上に浮かんだのは小野でした。彼の自宅からは、被害者の所持品や、切断に使用されたと見られる道具、そして驚くべきことに別の行方不明女性の体の一部などが発見されました。

    無期懲役の確定

    2003年、最高裁で無期懲役が確定しました。

    この事件が社会に与えた衝撃

    小野悦男のケースは、日本の司法とメディア、そして支援団体に深刻な教訓を残しました。

    支援者たちの沈黙

    小野を「無実の市民」として信じ、支援していた人々は、彼が実際に凶悪な殺人犯であった(あるいは再犯を犯した)という事実に直面し、激しい批判と自責の念にさらされました。

    「疑わしきは罰せず」のジレンマ

    最初の事件での「無罪判決」自体は、法的手続き(自白の強要)に問題があった以上、司法としては正当な判断でした。しかし、その結果として「凶悪犯を野に放ち、次の犠牲者を出してしまった」事実は、社会に強い不信感を植え付けました。

    メディアの責任

    「権力=悪、被告=被害者」という短絡的な構図で小野をヒーロー視し、彼の抱えていた危うさや余罪の可能性を検証しきれなかったメディアの偏向も厳しく指摘されました。

    まとめ

    小野悦男という人物は、「冤罪」という正義を追求した結果、皮肉にも「再犯殺人」という最悪の悲劇を招いてしまったという、日本の刑事司法における「最も重い教訓」の一つです。

    現在、日本の公安調査庁は「日本共産党」と「過激派各派(中核派、革マル派など)」の両方を、破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています。

    区分主な組織現在の立場
    日本共産党日本共産党暴力革命を否定し、議会での活動を主とする。
    新左翼(過激派)中核派、革マル派、解放派など現在も公安警察の監視対象。一部は「革命」を掲げ続けている。

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